Menu items:

HOME

このサイトについて

歴史的背景

音楽ビジネスモデルについて

音楽の構造的部分について

ラジオ局Links

お勧めCD(SmoothJazz)

お勧めCD(Contemporary)

お勧めCD(Vocal)

Kanzen Smooth Jazz

インタビュー

ライブレポート

CD販売

サイト管理者との関連Links

リンクガイドライン

サイト管理者紹介


Contemporary Jazz, Smooth Jazz
の歴史的背景


今日のハイテク音楽までの道程です...

1.はじめに

TOP
Contemporary Jazz, Smooth Jazz の音楽構造が他のジャンルの音楽や それ以前のトラディショナルなスタイルのジャズと明確に違いが出て きたのは、1960年前後にモダンジャズのミュージャンンが始めた 「モードジャズ」がおそらく発端だと思います.この「モードジャズ」 の音楽理論はそもそも、19世紀終わりにフランスのドビッシーが 始めた、西洋音楽理論の中の「印象派以降の技法」と呼ばれるものが 基になっています.ですから、歴史的背景について正確に述べるには、 このドビッシーの音楽技法からスタートする必要があります.
「リラックスミュージック」をメインにお話しているのに、あまり堅苦しい話 にならないよう極力専門用語をわかりやすくご説明しようと思います.

Contemporary Jazz, Smooth Jazz のベースになっている音楽は、 厳密な意味では、アメリカの黒人たちがはじめたトラディショナルな ジャズではなく、それらから影響をうけた主にヨーロッパから アメリカへ移住してきた音楽家たちが始めたスタイルの音楽であるとも言えます.

2.音楽をデザインする

TOP
ここで言う「印象派以降の技法」は「20世紀の和声法」とも言われ、 1オクターブを12等分した平均律の中の各音を「12種類の独立した音程」 として認識し、自由にメロディーとハーモニーに割り振って音階や 和音を「合成」して作り音楽を作っていこうというものです.これらを 称して、旋法(モード)と呼んでいます.では、いったい何のため そんなことをする必要があるかと言うと、メロディーとハーモニーの 響きを人間が「経験的に」聴いて、緊張感がある/ない、とか、 響きが暗い/明るい、などを認識することができ、それら「経験的な要素」を、 その音楽的効果を必要としている曲で 「取捨選択して音楽を構成して聴いて楽しむ..」という目的のためです. これはジャンルにかかわらず、現代人の音楽の楽しみ方というものが、19世紀 以前の古典派クラシック音楽の背景とは、明らかに違ったものが現代人 の音楽の楽しみ方になっているためです. 別のページで解説しますが、Lydian Chraomatic Concept を習得した方なら 容易に想像つくと思いますが、12音主義の音楽でも調性を崩壊させず、 モダンで大変美しい音楽を作ることができます.(バールトークの技法と似てます) たとえば、スパイ映画などでは緊張感のある不協和な響きのある音楽、 ヒーリング音楽などでは逆に、協和な音程や倍音列にに基づく完全協和な 音を用いた音楽、人をわざと笑わせるときに、わざと狂った 音程を使う、ニュースやドキュメンタリーなどの音楽には感情表現の無い 無機的な音階のメロディー、など、目的に応じて音楽の手法を変えていく 必要があります. これを称して「音楽をデザインして楽しむ」と言います.Contemporary Music のContemporaryは「同世代」とか「今を生きる」という意味があります. みなさんが、音楽を聴いて楽しもうとCDプレーヤにCDをかけるとき、 緊張感がほしいのか安らぎがほしいのかによって聴く音楽を変えて いるはずです.これこそ「今を生きる」人々の音楽の楽しみ方であり、 ミュージシャンの側は「音楽のデザイナー」なのです.
アメリカで盛んに作られラジオなどでも流れているこれらのジャンル音楽は、 構造的に必ずこれら新しい手法で作られています. これが、他のポピュラー音楽やムードミュージックなどと 一線を隔するところなのです.

3.印象派以降の技法とジャズとの関係

TOP
具体的な内容になりますが、ここで言う「印象派以降の技法」「20世紀の和声法」 について、ポピュラー音楽やジャズの理論書などで正確に述べているものは ほとんどありません.それらについて書かれているものは、ほとんどが、 16世紀から19世紀の西洋音楽の古典派クラシック音楽の理論に基づく ものです.もちろん長音階/短音階とそれに「伴奏付け」するためだけの 和声法があれば、それらの音楽を演奏して楽しむことは全く問題なく できますので、音楽の専門家になるための学校以外で教えているのは これだけですし、世の中の大半のポピュラー音楽はこの範疇で作られています. しかし、幅広い音楽表現が楽しみの重要な要素となった現代、 「音楽をデザインして楽しむ」ためにはこれだけでは不十分なのです. またそれらは、あたかも音楽技法の基本のように扱われていますが、古代ギリシャ 時代に優れた音楽技法があったにもかかわらず、それらが正しく現代まで 伝えられなかったことを見直していることにもなります.
西洋音楽の歴史で、この点に気づきはじめ実践してくれたのがドビュシーです. 19世紀以前までの西洋音楽は、メロディーとハーモニーを単一の調性内 でのみ構成し、転調によって音楽を拡大してきましたが、 この調性というものを二次的なものと考え、和音の構成音程などから 得られる響きの方を重要視して音楽を作っていきました.その結果、 西洋音楽の世界での全く新しい表現法を開拓し、それらの表現法が モダンジャズでも必要としていたものと同じものであったわけです. ドビュシーにそういう音組織を気づかせたのは、19世紀後半からの 工業技術の発達によりピアノなどの楽器の能力や音の精度が著しく 向上したためでしょう.20世紀にはラジオなどの発達で、 遠く離れた異国の音楽などを居ながらにして楽しめるようになり、 それらが音楽家をインスパイアして、新しいものを作らせてきたようです. ドビッシーが生きていたころ、アメリカでジャズが誕生しています. ですから、初期のジャズはクラシック音楽の技法しか使われていませんで したが、ドビュッシー自身、当時のジャズのファンでもあり、 お互いに影響しあって「20世紀の技法」を発展させてきたようです. この点について、松平頼則氏の「近代和声学」(音楽之友社)に詳細に 書かれていますので、興味のある方は読んでみてください.

4.第二次世界大戦当時、ヨーロッパから音楽家がアメリカへ亡命

TOP
次に重要な事実として第二次世界大戦当時、ヨーロッパから音楽家が ナチの迫害を逃れアメリカへ移住してきたことです.有名なのが ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)、アーノルド・シェーンベルク などユダヤ系の音楽家で、20世紀音楽の重要な技法を使用していた人々が、 アメリカ合衆国カリフォルニア州へ移住し、現地の音楽大学で新しい音楽技法を 多くのミュージシャンに教授しました.特に、サンフランシスコ市の東の オークランド(Oakland)にある "Mills College" でダリウス・ミヨー に音楽を学んだ、 ピート・ルゴロ(Pete Rugolo) という人は後に、 スタン・ケントン(Stan Kenton) 楽団という、ジャズオーケストラ でアレンジャーとして活躍し、新しい手法のジャズを世に送り出しました. 時は、1943年前後のSanDiegoです.当時、日本は第二次大戦の真っ只中 にあったわけです.おそらくは、これが Contemporary Jazz というスタイル の一番基になったものではないかと思います. ここからリンクを張らせていたただいている、 SpaceAge Pop というサイトに、当時のキーパーソンの詳細が書かれています. 興味のある人は読んでみてください. このサイト(SpaceAge Pop)によると、ピート・ルゴロという人は ニューヨークで、Capitol Records のA&Rを担当し、 レニー・トリスターノ(Lennie Tristano) のレコードなどを世に送り出しています.これらは、 クール・ジャズという新しいスタイルで、マイルス・ティビス9重奏団 などとともに新たな音楽ファンを獲得していきました.こういう新しい スタイルの音楽は、それまでジャズがダンス音楽として楽しまれていた ものから、鑑賞用の音楽として位置づけされ楽しまれるという分野を広げる ことにもなりました. 私見ですが、当時のクール・ジャズは現在のスムース・ジャズの楽しまれ方 と同じような性格があったのではないかと思います.
ピート・ルゴロ以外にダリウス・ミヨーから音楽を学んだ人は、 ディブ・ブルーベック、バート・バカラックなどがいます. 後でお話しますが、バート・バカラックの曲の、 あの特徴あるメロディーラインとハーモニーはここにルーツがあるようです.
(ジャズファンではない人にまでよく知られている、Kenny G は、 このスタン・ケントン楽団のメンバーだった人々がその後、音楽を教え始め、 彼らから Kenny G も音楽を学んで大成功しているのです.)

5.マルチトラックレコーダの出現による、音楽制作の変貌

TOP
1960年代に入り、いよいよ、 クリード・テーラー(Creed Taylor) の関与する時代になります. この Creed Taylor という人物は、後のクロスオーバ/フュージョン、 更には一般のポップスの音楽制作の方法にまで影響を与えた重要人物です. もともと、この Creed Taylor 氏はジャズのバンドを経験している人で、後 にレコード会社でプロデューサとして頭角を現した人です.この人のプロデュース してきた一連のレコードを聴いてみると非常に一貫性があり、印象主義の技法 の音楽が好きであることがわかります.1962年に Verve レコードで ジャズのプロデュースを行い、ジャズのアーティスティックな側面を壊す ことなく、一般の幅広い音楽ファンにも楽しんでもらえるようなもの を目指していました.そこで、このサイトの「お勧めCD紹介」にもあげました が、クラウス・オガーマンを起用し、彼の得意とするスクリアビンや バルトーク、ドビュシーなどのストリングスアレンジを施したビルエバンス などの音楽を作り上げていきました.中でも最も有名なのは、当時ブラジルで 流行していたボサノバをアメリカへ紹介したことです.(クリード・テーラー のボサノバはアメリカ版ボサノバと言われています)

もう一つ特筆すべきことは、1960年代に入って音楽の多重録音を可能 にする「マルチトラックレコーダ」が出てきたことです.1960年以前の ほとんどの音楽は、音楽ジャンルに関らずマイクロホンを2つしか使用しない 2トラックテープレコーダを使用したステレオ録音のものしかありませんでした. 多重録音というのはありましたが、ピンポン録音と言って「1つのレコーダ から他のレコーダへダビングする過程で、別の音を付け加える」ことしかでき ませんでしたがマルチトラックレコーダを使用することで「リズムセクションと ジャズのアドリブソロの部分だけを最初に録音しておき、その演奏を 後から譜面などにおこして、ストリングスなどのアレンジを施し、 オーバーダブする」、あるいは「1人のミュージシャンが、別々のトラックに 別々の楽器を演奏して録音する」「1人で別々のコーラスパートを歌う」 という画期的な音楽制作ができるようになりました.今日でこそ、これは あたりまえのことですが、当時としては非常に斬新な手法で、おまけに 経費がかからない方法でもあったのです.
これを積極的に進めたのが、1967年ハーブ・アルパートによってロサンゼルス に設立されたA&Mレコードだったのです.当時、まだA&Mは小さいレコード 会社でまだ音楽市場は、多重録音に対する認知度が低く、ニューヨークの ブロードウェイでは多額の予算をつぎ込んで、大規模なオーケストラを雇い 音楽制作をしていました.A&Mではこれに対抗して、経費をあまりかけないで クオイリティーの高い音楽を制作するため、当時、西海岸でダリウス・ミヨー等 から音楽を学んだ先進的な音楽家 (バート・バカラック、デーブ・グルーシン、など) をアレンジャーとして起用しました. 同時に、Verve にいたクリード・テーラーを引き抜き、A&M内にCTI という「多重録音によって作り出されるジャズ」の専門レーベルを発足 させました.これらA&Mが当時やりはじめた音楽は、瞬く間に広がり いくつかの大ヒットを生み出すことになりました.作曲/編曲されたものは ジャズ以外のものでも新しい技法を使い、制作方法においても新しい ものを生み出していきました.一般に、ジャズではじめから大規模 なストリングスアレンジなどを施してしまうとアドリブソロのときに 使用できる音など、自由度がなくなってしまうことがあります. これらの方式によりジャズのソロイストは自由にプレイし、そのあと 編曲とオーバーダブをすることで、音楽的に最良の効果を得ようと したものです.一方で、このような制作方法に批判的な意見も多く 出ましたが、新しい音楽制作の方式として定着するようになりました.

6.シンセサイザなど電子楽器の出現

TOP
シンセサイザなどの電子楽器が一般のジャズ/ポップスなどで使われ 出したのは1970年代に入ってからです.もともと前衛現代音楽や 映画/テレビの劇伴などの効果音を作るためなどに考え出され利用されていました. 電子楽器と電気楽器の違いは、Rhodes Electric Piano やエレクトリック ギターなどでおわかりのように、音の出る部分は弦など物理的な音源を使い、 マイクロフォンで音を拾ってアンプで増幅したりフィルタなどで電気的に加工するのではなく、 音源そのものが電子回路による発振器で作られているものを言います. (今、一般化しているデジタルシンセではなく、アナログシンセしか当時 はありませんでした) このような楽器が一般の人の手に届く(値段は高かったですが..)ように なってきたのは、1960年代の米ソ冷戦、ベトナム戦争、アポロ計画 などのための技術開発により電子技術が大幅に進歩し、1970年代に入って それら技術を一般の工業製品にも応用させ産業を発展させようという動き がアメリカで起こってきたからです.それ以前では実現困難 と思われていた電子楽器にも応用され、個人でも買えるほどの価格のものが 現れてきました.そのため1970年代前半からこれら電子楽器を使った 音楽がたくさん作られることになりました.

シンセサイザが出現したとはいえ、それがジャズやポヒュラー音楽の 作曲/編曲の技法そのものに与えた影響はほとんどありません. むしろ従来の楽器の演奏法では難しい演奏のための代用などに使われ、 このサイトで扱っている音楽ジャンルという意味では それほどの影響はなかったように思います.もともと前衛音楽や 劇伴の音楽のためというのが多かったため、雑音やイフェクターなど を使ったものなど、音楽だけをとって聴いていると決して心地よい ものではない音がいくつかありました.そのような中、ジャズのミュージシャン たちはジャズのハーモニーが効果的に美しく出せる楽器などを 重点的に使い出し、 ストリングス専用のシンセサイザ (お勧めCD(Pure SmoothJazz)にある Sun Goddess (Ramsey Lewis) に使用されている) や、 ソロ楽器として長い人気を得た Mini Moog , ARP , Overheim など に人気が出ることになりました.その後70年代後半には音質なども改良され、 当時のコンテンポラリージャズの複雑なフレージングなど、従来楽器 では演奏が難しくなるようなものでも、電子楽器では演奏が比較的 容易である..などの利点があり、かなり普及したように思います. ただ、演奏はもっぱら鍵盤からで、キーボード奏者が演奏する場合 がほとんどでした.これらの楽器は、クロスオーバ/フュージョンの 分野で多く使用され、完成度の高い音楽になっているものもたくさん あります.このサイトの、 お勧めCD(Contemporary)にある佐藤允彦さん の MSB-1 MSB-2 など は、この時代のここで紹介した電子楽器と編曲法 という点で、当時日本でもっとも良くできた部類の音楽だと思います.

7.MIDIによるコンピュータ制御の音楽制作の出現

TOP

20世紀の前半は、和声法についての開拓と進化の歴史であり、1970年代 に入ってほぼ完成されたと言っても過言ではありません.それに伴い このサイトで取り上げているジャンルも開花したわけですが、70年代以降 この執筆をしている21世紀に入る現在までの30年近くの間は、 音楽における和声的な部分の新たな展開というのはほとんどなく、 テクノロジーの進化とともにほとんど楽器そのものの開発の歴史へと 変貌しています. 70年代、油井正一さんの番組「アスペクトインジャズ」の最後の放送で 油井さんがおっしゃられていましたが、「もともとジャズに、ジャズの ための楽器などというものは無かった.初め、黒人たちがジャズを始めた ころ、彼らの身近にあったブラスバンドのための、トランペットや サキソフォンなどの金管楽器などを手にし始めたがために、それらが ジャズのための楽器であるかのようになってしまった...」
1970年代に開花した新しいシンセサイザの楽器などが盛んに使われる ようになってきましたが、80年当時、同時にいろいろ具体的な問題をも 抱えるようにもなりました.それは音楽制作の過程でそれらの楽器 を自動演奏させたいという必要性が出てきたことです.さらに80年当時 初めてパーソナルコンピュータが出現し、この必要性を解決する手段と して先進のミュージシャンたちに注目されるようになりました. そこでシンセサイザを共通にコントロールするための「信号の規約」 としてMIDIという、現代ではごく当たり前になってしまった手順が 実現されるようになりました.(このサイトはMIDIのためのサイトではない ので、MIDIに関する詳細は他サイト/文献などをご覧ください.)
では、コンテンポラリージャズという分野に、80年当時のMIDIの技術 がどのように関わってきたかを考えてみます.
それは、12音すべてを利用するようなモードを使用した音楽は、 リズムセクションのような伴奏者と、ソロを取る奏者との間に 大きなアンバランスが発生し、時として不公平が生じることがあります. 古典的な和声により作られている音楽は、ベースラインなども 和声の進行に伴い「旋律線」を演奏することになりますが、モーダルハーモニー などの調中心を確定し、和声リズムとは無関係な時間の流れを作り出す ためには「オスティナート」という、反復旋律中心の演奏になりやすく、 「伴奏者にメロディーを演奏する機会を与えてくれない」という一種の 不公平が発生していましたが、これを解決するのに、調中心を維持するための 「オスティナート」やリズム/タイムは、コンピュータによるMIDI制御で 演奏させればよい..という方法が出てきました. 現実問題としては、これが実用レベルに達したのは、次のセクションで お話する「サンプリング技術」が確立してからになるのですが、 80年代以降のジャズを含む新しい音楽制作の流れとして確立していきました.

8.現実音のサンプリング技術とDTMによる音楽制作革命

TOP

1990年代に入ってポピュラーになってきた、 ジャズのアドリブソロを取り入れて作られるコンピュータ制作の音楽に ついてです.(いわゆる「打ち込み」制作によるジャズを意味します.)

1980年代の中期ごろまでは、電気楽器といえばもっぱら電気的に音を増幅 したり、フィルタなどで音色を変形させたものか、アナログシンセサイザのように、 電気的な発信器から楽音を作り上げたものしかありませんでした.しかし前の セクションで説明したように、シンセサイザを制御するために、かなり早い時期 から音楽の世界ではパソコンなどコンピュータが普及をしていました. ここで特筆すべきは、いよいよ音楽の音源そのものをデジタル的に記録処理 できる(DSPといいます)機能がパソコンの世界で可能になってきたことです.

それまでのアナログシンセサイザと異なり、ピアノやバイオリンなど、既存 の楽器の音をデジタル的にコンピュータ上で記録し、それを音源として新たに 演奏させることが可能になってきました.GENERAL MIDIという規格が制定され のもこの時期です.当時、日本の楽器メーカなども開発に加わっていましたが、 アメリカのENSONIQなどが基本技術の開発をしていました.

しかしながら、これらの新しい音楽制作の方法は、はじめのうちはジャズでは あまり利用されず、もっぱらカラオケやゲーム音楽などを中心に普及し、 もともとの音楽のプロにはあまり注目されませんでした.そもそもの原因は やはり、初期のころのデジタル音源は、サンプリングのビット数が小さく、 音質が非常に悪く、質の良い音を必要とする一般の音楽制作ではあまり 注目されませんでした.あと、即興演奏中心のジャズでは、あらかじめ 作曲編曲されシーケンサによって自動演奏される、という課程が、 ジャズの表現様式に合わないということで、さらに利用されないという 状況が続いていました.
その後、1990年代の中期ごろまでには、パソコンのデータ処理能力が 上がり、あるいは楽器に組み込まれたコンピュータの機能が上がり、 非常に質のよいサンプリング音が実現され、コンピュータのサンプリング音 なのか実際の生の楽器で演奏しているのか、全く見分けがつかないほど 制度のよい音源が利用可能になり、いよいよ一般の音楽制作にも利用される ようになりました.このサンプリング技術は、あらかじめ楽器に内蔵された プリセット音源と、自分で音をサンプリングし、それを音源として利用する 2つの方式があります.(前者をデジタルシンセサイザ、後者をサンプラと呼んでいます)

このように良質の音源を使ったコンピュータ処理を使った音楽制作は、 主にアメリカで先行し、90年代のスムースジャズなどのように、 録音制作によるものに積極的に使われるようになりました.これはちょうど 60年代にマルチトラックレコーダが出現し、多重録音によって音楽制作 が進められた時期と似ていて、この90年代は「音楽制作革命時代」とも言われ ています.これらの環境は、このサイトで紹介しているようなコンテンポラリー ジャズの音楽理論、作曲編曲様式が、ちょうどこのコンピュータ制作の手法 にたいへん都合がよいというのもアメリカで積極的に利用されはじめた理由 と思われます.これは、それらの道具を使いこなすための音楽家とその音楽が 好まれる市場があったためという理由もあります.

Pure SmoothJazz CDs で紹介している数々の ヒット作品のいくつかは、オーケストラのアレンジ部分、リズムの部分 などにコンピュータ制作を利用しています.ただし、ジャズの場合と一般 の音楽制作と手順が異なるのは、アドリブソロの部分を先に録音しておき、 「打ち込み」部分を「後から」オーバダブする、という方法がとられています. これは、60年代70年代にCTIなどで行われていた手順が、そのまま コンピュータ制作の手順にも応用されています.(一般のポップスは、カラオケ を先に作っておき、あとから歌を録音したりします.ジャズの場合、全く逆 の手順で行います.これにより、編曲に束縛されない自由なソロが録音でき、 そのソロの内容を後から分析して、後からアレンジを考えるのです)

日本の場合、カラオケやゲーム音楽を作っていた人たちが、こぞって 日本のポップスの世界でコンピュータ制作を行い、数々のヒットを出しています. でも残念ながら、日本のジャズの世界で、この分野を手がける人は 非常に少ないのが現状です.一番の理由は、やはり音楽の作編曲の高度な技能に 加え、コンピュータ制作のための知識が必要になるため、そこまでカバーできている 音楽家の人口がまだ日本では圧倒的に少ないのでしょう. 反面、ポップスの世界ではたいへん普及していますが、制作されている音楽 の質はあまりに低いものが多いのが現状です.2000年現在、一部の音楽大学 などでやっと、音楽家の教育課程に導入される始めているという現状です.

以上、この最後のセクションで述べていることの理由の1つとして、 このサイトをオープンし、啓蒙活動をしている、ということです.


<参考>

A1.1960年代当時の日本のラジオ放送事情について

TOP

2008年3月20日、21日に、NHKAMラジオにて「ラジオ・ルネサンス」と題して、 日本のラジオ放送の特に第二次大戦後がら現在のネットラジオ配信に至るまでの流れなど、 当時のラジオ番組の関係者をスタジオに招いて、特集番組を放送していました.

筆者は1957年生まれで、子供の時代にまさしくこの特集番組で紹介されていた内容 そのものの実体験により育っています.
当時の状況を筆者の実際の経験から、ここに紹介しておきます.
筆者の育った地域は東海地方で、日本で初めて民間放送(中部日本放送 [CBC])が始まった 地域で、さらに1969年にFM放送の民間放送(FM愛知)も東京より早く開局しています.

東海地方で民放が最も早く開局できたのは、自動車産業の発展と関係があります.
アメリカ合衆国では1950年代にインターステートハイウェイ(I-405 などInterState のIで始まる) が整備され、自動車が普及しはじめた時、自動車にカーラジオが交通情報の収集目的など のために必ず取り付けられていました.1960年代はラジオが真空管式のものから トランジスタに移行されつつあり、当時トランジスタは高価なため、自動車に搭載する ラジオの場合、自動車にはじめからラジオの経費が組み込まれることでカーラジオが 普及していきました. (SONYの創立者の盛田氏もトヨタ自動車のある自動車同じ愛知県出身)
このカーラジオに音楽番組を放送することでヒット曲が出せるというスタイル を取り始めたのが、マイケル・ジャクソンなどを生み出したモータウンレコード、 このサイトで詳しく紹介しているハーブ・アルパートのA&Mレコード、その後の CBSソニーレコードなどです.

当時、東海地方が東京に比べてアメリカ型の音楽環境が進んだのは、 当時の日本政府は東京オリンピックに向けて新幹線など鉄道インフラ建設の方を 優先し、東海地方の自動車産業は、その前身が第二次大戦中の航空機産業のための エンジンなどを生産していたため、アメリカとの対立を避けるため、当時の通産省 は、日産にアメリカからの自動車輸入を支援し、トヨタ自動車や本田技研にオートバイ しか作らせないなど、規制をかけていたため、当時の日本政府の方針とは別に 独自に東海地方からアメリカ合衆国と直接関係を深めていった結果、 モータリゼーションが進む段階で、ラジオインフラの方もアメリカと同じような環境が 東海地方に普及していったと考えられます.

戦後1950年代中頃(昭和30年)以前は、まだテレビは普及しておらず、 ラジオは高価なもので、ラジオ番組も大人が聴くことを前提にした番組でした.
昭和35年の皇太子ご成婚以後、テレビが急速に一般家庭に普及し始め、 大人がラジオ番組をあまり聴かなくなりました.(特に夜間、仕事を終えて帰宅してから)
その結果、もともと各家庭にあったラジオを大人があまり使わなくなり、 子供がこのラジオを学校から帰宅して夜に占有して聴くようになりました. 1960年代当時は、日本は経済発展していた時期で家庭の住宅事情も良くなり、 子供に部屋を与えられるようにもなっています.(東京に比べて東海地方はもともと 自宅住まいの人が多く、住宅事情が比較的恵まれていた.
当時のラジオは、真空管式の「5球スーパ」(参考: 日立 「エーダー S-552 」 アンティークの館 より) などで、 昭和30年代以降に低価格なものが家庭に普及していました. 当時の真空管ラジオは、AM中波放送と、3.8MHz から 12MHz までの短波、さらに 当時、別売されていたレコードプレーヤを繋ぐ AUX 端子があり、レコード の再生(ラジオはモノラルのため、レコードプレーヤのステレオ出力は L R ともモノラル入力、 あるいは、ラジオを2台使用)が可能でした.

夜間、子供や学生がラジオを聴いていることが当時の放送番組制作者にわかり、 夜間はアメリカのポップスやクラシック音楽などの番組がとてもたくさん放送 されていた時代でした.バートバカラック、セルジオメンデスとブラジル66、 ビートルズ、ジャクソンファイブ、フィフス・ディメンションなど、このサイトで 詳しく紹介しているミュージシャンなどは、当時の日本のラジオ放送から広まったものです.
60年代当時、ラジオで洋楽番組が多かったのは、当時の日本ではまだ放送業界が 最近のバラエティー番組のように番組制作能力と規模が無く、放送時間帯を埋めるため、 糸居五郎さんなどのような一人のDJとレコードだけで番組が成り立つ洋楽番組を たくさん放送していたためです.

60年代当時はトランジスタラジオはまだ高価であり、野球の中継放送などが好き な大人がトランジスタラジオを使っていましたが、60年代終わりから70年代、 大阪の万博以降カラーテレビ放送などが始まり、オーディオ機器ブームと 安価になったトランジスタラジオ、カセットテープレコーダなどにより、 70年代は子供がたくさんラジオを聴くようになりました. 60年代は洋楽の比率が大きかったですが、70年代に入り、 フォークソングブームなど日本の音楽がラジオ番組でも徐々に増えていきました.

団塊の世代といわれる1950年ごろ生まれの世代は、当時はまだ経済状況も良くなかった ため、ラジオを占有して自室で聴いたりできず、地方から東京の大学などへ進んだ 60年代から70年代のはじめ、東京では下宿などで音楽を聴くより、 ジャズ喫茶や東京にはミュージシャンがいるためライブハウスなどに行って音楽に 興味を持った人が多いのですが、東海地方の大学進学者は比較的自宅から通学する人 が多く、家の住宅事情が東京に比べて良いため、筆者のように60年代あたりから ラジオの音楽番組、オーディオ機器とレコードなどを自宅で聴くことから、音楽に 興味を持った人が比較的多いようです.

当時から30年以上経た現在、筆者はロサンゼルスのGregg Karukas や Lori Andrews など、筆者と全く同年代のアメリカのミュージシャンと知り合っていますが、彼らに 60年代70年代、どのような音楽をアメリカで聴いていたか聞いてみましたが、 60年代当時、日本のラジオ放送で頻繁に流れていた、アメリカのA&MやCBSなどの 音楽とほとんど同じ曲を彼らも当時アメリカで好きで聴いていたそうです.
その後1980年代以降、彼らが Smooth Jazz などを始めていますが、60年代当時の 日本のラジオ放送の洋楽番組はアメリカのそれとほとんど同じ音楽体験が可能だった ことを意味しています.

一方、東京在住の場合、ライブハウスで生の音楽が聴ける環境があったとはいえ、 ラジオの洋楽番組で流れるミュージシャンそのものが毎日 東京にあるライブハウス に出演しているわけではなく、東海地方でのモータリゼーションと住宅事情が東京より 良く、レコードやラジオの洋楽を通じて音楽を吸収できた環境の方が、現在の アメリカの Smooth Jazz 環境に通じるもので、かえって恵まれていたと思われます.

ライブハウスなどに行って音楽に興味を持つような場合、音楽の中身そのものではなく ミュージシャンという「人間の方」に興味を持っている場合があり、ラジオ放送 やレコードから音楽を耳だけから好きになった場合、本当に音楽そのものが好きで あるからラジオ番組で知った音楽のレコードを買うことになるはずです. 音楽の本来の普及にはラジオ放送がいかに重要かが、当時の状況からもよくわかります.


| HOME | About | History | BusinessModel | Theory | Radio Links | PureSmoothJazz CDs | ContemporaryMusic CDs | Vocal CDs | J-SmoothJazz | Interviews | LiveReport | Order | Links | LinkGuideline | Profile

All trademarks, trade names, pictures, company names and
music / song names in this document are owned by it's respective owners.

このサイトのImage file,Sound/MIDI file,音楽著作物、すべての無断使用を禁止 いたします.
All songs, sound/MIDI files and recorded items are (C)(P)Yoshiki Sakai

Since March 1,2000
Last modified September 23,2010
(C)2000 - 2010 Yoshiki Sakai (Pearl White Music Publishing LLC)