Profile & Success Story
(この内容を無断で他へ掲載/引用/リンクを張る/公開することを禁止いたします.)
Last update: March 1,2005
2005年3月は、サイト開設5周年になります.
サイト開設後、毎年新たな飛躍/新企画など、長期間にわたる皆様のご支援、感謝いたします.
Success Story として全面書き直ししました.
また、直接お会いした方々からのフィードバックを、こちらへ反映させました.
酒井善樹(さかいよしき)1957年5月、愛知県生まれ
三重県津市で子供時代を過ごし、
現在同市在住
(F1レースで有名な鈴鹿サーキットへ車で30分程度の地域です)
音楽好きになり、やがて作曲編曲とピアノを習うまでの経緯:
1968年ごろから70年代にかけて、洋楽(特に
ジャズ/コンテンポラリーミュージックなど)に親しむ.
親族で音楽を職業にしている人はいなかったが、叔父がレコード
マニアで小学生の後半ごろより、レコード音楽やラジオの音楽番組
の影響で音楽マニアとなる.
(この叔父の息子が声楽に進みイタリアに留学し帰国している.)
白人のように色白で身長187cm.ちょっと日本人離れした体型.
1970年前後は、日本ではじめて
FM放送が始まったり、夜のラジオ放送ではほとんど洋楽しか
かかっていなかった.
当時大流行していた、
A&M
の洋楽ファンとなり、
バートバカラック
、
セルジオメンデスとブラジル66
、
CTIレーベル
のジャズなどから、本格的なジャズファンとなる.
当時、ヤマハの「合歓の里」へチックコリアなどが来日し観に行っていた.
小学校から中学校にかけて、学校の放送委員をやっていまして、
音楽を流したり、シンセサイザなどの無かった時代、
録音テープを加工したりして音作りなどを始めていました.
当時、学校の先生にたいへん電気に詳しい人がいて、
私にミキサーや録音機、マイクロホンの使い方などを徹底的に指導してくれました.
私は学校や一部公共の行事などに駆り出され、いわゆる劇伴モドキの音楽を
作った覚えがあります.そのとき僅かでしたが仕事として収入がありました.
青木誠さん
などが企画されていた、
「渡辺貞夫マイディアライフ」
、油井正一さんの「アスペクトイン・ジャズ」
などは、初回から最終回まで欠かさず聞いていた.
また、当時はインターネットなどなく、短波放送のVOA(Voice of America)
の VOA Jazz hour という番組などもかなり長期間聞いていました.
その後、
鈴鹿工業高等専門学校
、電気工学科を卒業.
1978年より1980年まで3年間、東京芸術大学音楽学部作曲科の
内田勝人
に個人的に師事し、和声学・作曲/編曲を習得.特に、クラシック音楽の和声学のみならず
「20世紀の和声法」
( Vincent Persichetti )
Lidyan Chromatic Concept of Tonal Organization
( George Russell )
を重点的に習得.(内田勝人氏は、
1970年、政府給付によりパリ、コンセルバトワールにてオリビエ・メシアン
に師事、帰国後、広瀬量平氏らとともに新しい、音楽技法の普及に勤める..
1996年、癌にて死去.内田さんは、当時、バイオリニストの玉木宏樹さんの親友
でした.私は、玉木さんとも、疎遠ですが交流しています.)
この内田勝人氏に、私には「色聴」があることを指摘された.
当時、私が興味のあった印象派以降の音楽が、内田さんも好きであったため、
新しい和声学や作曲法をずいぶん丁寧に、かつ徹底的に教わったため、
現在、スムース・ジャズなどのCD制作などにずいぶん役に立っています.
1980年当時、短期間ではあったがプロとして編曲などの仕事の受託
などを行っていたが、同じような音楽志向のミュージシャンになかなか
めぐまれず、バンド活動などはまったく行わなかった.
現在これが逆に幸いし、バンド活動などの無駄な時間を他のために使用した
ことが、現在の音楽ビジネスの主流派になれることになった.
1982年、当時始めて世の中に出てきたパソコンを使いはじめ、
MIDIも何もなくアナログシンセサイザしかなかった時代に、
なんとか音楽にパソコンが利用できないかと思っていたが、
もともと理系人間なので、当時まだ誰も使っていなかったC言語など
のベテランになってしまい、パソコンの仕事が増えてしまい、それが
そのままコンピュータ業界へと私を導いてくれた.
当時、作曲編曲をみっちり鍛えてくれた、東京芸大の内田先生は、
一方で、MIDI規格ができる以前、楽器メーカの電子楽器/キーボード等の
アドバイザもしていたため、私もそれらの影響をうけています.
(参考:1980年当時、日本で初めて作られたパソコン、
NEC TK-80 による、アナログシンセの制御記事などが、
キーボードマガジンなどに掲載されていましたが、TK-80を世に送り出した人は、
私の卒業した鈴鹿高専、電気工学の先輩にあたる方です.)
(以下、コンピュータのエンジニアとしての経歴です.このサイトをご覧になられている
方で、音楽ビジネスにのみ関係しておられる方々は、私の、1984年から
1993年までの経歴は、意味を持ちませんので、飛ばしていただいて
結構です.)
1984年ごろから、ほとんど音楽と無縁の生活となりました.
理由は、彼女が出来て結婚に至ったためです.
1986年、結婚.カナダのバンクーバーとバンフへ新婚旅行に行く.
(このとき自分の好きなジャンルの音楽がこちらでは大変盛んであることを知る.)
1984年から1993年、音楽のリハビリを開始し、音楽を再開するまで
の経緯です.
(音楽のネット配信、IT関係者、電子楽器の研究開発などをされている方などは、
ぜひお読みください.)
1985年当時から、SONYがNews というUNIXマシンを販売しはじめ.
UNIXを使いはじめ、Sun Workstation などのエキスパートとなる.
医療用の自動制御ソフトウェアなどを手がけるようになる.
1986年当時から、1992年ごろまで、日本電気、富士通などと
UNIX, TCP/IPネットワーク導入などのコンサルティング契約をする.
(日本の主要企業などに、それらのシステムを導入するような仕事を、時代の流れ
より10年進んで実践)
それらの中の1つに、本田技研工業があり、スポーツカーNSXの
エンジン生産ラインの品質管理システムを手がける.
本田技研のNSXの仕事の関係でアメリカ合衆国の HONDA OF AMERICA を訪問.
同時に卒業校の鈴鹿工業高等専門学校が、
アメリカ合衆国オハイオ州立大学工学部と学術提携をし、同じオハイオ州
コロンバスにあった同大学工学部を訪問.
1990年、アメリカと日本を行き来する生活が始まる.
当時まだ商用利用できなかったインターネットを大学経由で利用開始.
(参考:NHKの
「ビジネス英語」
のラジオ放送のおかげで飛躍的に英語力が上達.)
1994年はじめ、アメリカのソフトウェア会社からリクルート
され、日本のオフィスの管理と研究開発を命ぜられ、現在に至る.
以上1984年から1993年が、音楽外の経歴です.
音楽のリハビリ(ピアノ演奏能力など)を再開するに至った経緯は、
1.1993年に、それまでのマンション住まいから、家を購入し
楽器を使用できるスペースが再び確保できたこと.
2.アメリカ合衆国とビジネスの関係が確立し、頻繁に日本とアメリカを
飛行機で往復する生活がはじまったため.アメリカの音楽家とも自由に
交流が可能になったこと.そして、それが、過去に疑問を持っていた
ことが解決し、
「自分の指向する音楽ジャンルのミュージシャンが日本にいなかった.
ことと、逆に、アメリカのミュージシャンとは相性が良かった」
こと.それが、音楽活動再開のきっかけになっていること.
3.さらに、アメリカの会社に移った時、その会社の人間の家族などがプロの
音楽家であるり、私に楽器演奏など音楽ができるのなら、
またやりはじめるべきだと勧められたこと.
などが、再開理由です.
これをご理解の上、以下の経緯をお読みください.
1993年当時、アメリカへ行くようになりはじめて、日本ではほとんど聞かれない
Smooth Jazz という美しい音楽があることを知り、この分野に特化して
やりはじめる.
その後、自宅に、ENSONIQ のシンセサイザ、など機材を充実させた結果、
「打ち込み」による音楽制作をはじめる.自分の会社のソフトウェア
CD-ROM の音源、ホームページの音源などを制作開始.
1997年、当時日本ではじめてといわれた、ケーブルテレビの
インターネットが津ケーブルテレビよりはじまり、いち早く接続.
1999年、「国際的な影響力のある人間」ということで、
アメリカのある「有名人データベース」に登録される.
2000年、スムースジャズ/コンテンポラリージャズの普及活動のため
、このサイトをオープン.
(YAHOO JAPAN (2000/12/21)今日のおすすめサイトに掲載される)
2001年、海外向け音楽CDの制作などを行っている.また、日本のある音楽番組制作
を手がけ始める.
(2001年3月、私自身のことではありませんが、親族の
鬼束ちひろ (Onitsuka, Chihiro)
のアルバムCD「インソムニア」がオリコン1位.大ブレイクする.
音楽ジャンルはここと違いますがぜひ応援してやってくださいませ..
参考:鬼束ちひろは、私の父方です.私の母方は関東.そのため、鬼束ちひろの
母親の旧姓は酒井です.)
2002年、(株)カンゼン、音楽事業部が立ち上げてくれた、日本発
スムース・ジャズレーベルの企画制作、A&Rなどを始める.
これに伴い、アメリカ西海岸のミュージシャン、Gregg Karukas, Lori Andrews など
と交流が始まり、本格的に音楽CDレーベルの企画制作を開始.
2003年、この(株)カンゼン 音楽事業部のレーベルが、大手の全国
ディストリビュータと契約し、事実上、メジャーCDレーベルと同等になり、
今後、本格的な音楽CD制作に着手します.
2004年、ジャズハープの Lori Andrews ご主人で、ベース奏者 Bart Samolis
の日本のオフィシャルサイトを出すとともに、彼らと音楽制作の共同事業開始.
(音楽制作/楽曲提供など、筆者までお問い合わせ下さい.)
影響を受けているミュージシャン:
ドビュッシー/ダリウス・ミヨー/バルトーク
Return to foreverでない70年代前後のチック・コリア/
70年代のキース・ジャレット/
Reverside時代のではなく、Verve以降のコンテンポラリージャズの
ビル・エバンス(亡きピアニストの方です)
1970年代から80年代前半の佐藤允彦
70年代前後のバート・バカラック/
クラウス・オガーマン
等
普段扱っている楽器
ピアノ
ENSONIQ MR-76 + EXP-4(Perfect Piano スタインウェイ D グランド音源)
ENSONIQ MR-61 + EXP-4(Perfect Piano スタインウェイ D グランド音源)
ENSONIQ MR-RACK
YAMAHA KX-88
(アコースティクピアノとほぼ同等のタッチの得られる数少ないMIDIキーボード)
Rhodes Electric Piano (Mark-I , Mark-IIの新旧と Mark-I Suitcase 3台所有)
(1976年ごろから使っているので調律法などこの楽器を熟知している、Rhodes Expert.)
音楽制作に利用しているコンピュータ/ソフトウェア類
Windows / MacOS-X, Silicon Graphics,
Steinberg Cubase SX
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